第5回【療育の前にいいたいことがある!】

第5回【療育の前にいいたいことがある!】

第5回 うまくいけば「良し」。いかなければ「しかたない」。すべてはなるようにしかならない

がっちゃんが突然絵を描き始めたのは3年前。多動症で学校でもうろうろ、校庭を走り回っている野生のターザンかっていう感じだった。新しくノーベル高校をつくったときも、何もせずいきなりコンビニへ脱走。無理矢理ドリルやらせても5分もつかどうか。

 

がっちゃんがラッキーだったのは、スタッフのひとり、ココさんの実家が画廊だったこと。ココさんはもともとハイブランドのファッションデザイナー。人生のセカンドライフとしてアイムで働き始めて、がっちゃんの算数や国語を教えてくれていたんだけど、点で授業にならないと(笑)。そこでココさんがあるときがっちゃんを岡本太郎美術館に連れて行ってくれたの。驚いたことに、あのがっちゃんがある一枚の絵の前で立って見ていたっていうんだ。これは本当に驚くべき話。あのがっちゃんが1カ所にずっと立って同じ絵を見ていたなんて前代未聞。それだけでも驚いたのに、次の日に突然「ガク、絵、描くー」って言い出した。

ここで重要なのはココさんに絵を見る力があったこと。最初にがっちゃんが描いた絵を見て、「この子には才能がある」って気付いてくれたたわけ。この話でわかるように、重要なのはいろいろな活動をさせる機会を与えること。そして、どこかで芽が出た瞬間を見逃さないだけの能力を大人の方が持っていること。

 

がっちゃんの場合は、ココさんがそう言うならやらせてみようと、キャンバスや油絵の具など、60万円分の画材を恐る恐る購入した。ある意味、回収の見込みのない投資だよね。でも多動症のがっちゃんが生まれて初めて同じ場所で作業に集中できたのが絵。そして初めて人に自分を認めてもらえた瞬間だったの。これががっちゃんの人生を変えた。

 

ココさんは、画家であるがっちゃんの意志を尊重して、「こうやって描くものよ」みたいな決めつけをしたり、内容に口を出したりはしない。画材を渡してチャレンジさせることに徹している。それでがっちゃんの今のスタイルができあがって、今は月に20枚、年間240枚描いているよ。

絵を描き始めて1年経ったとき、今度は「ガク、ミュージアム」って言うんだよ。これは「自分の絵を展示しろ」ということかと頭を悩ませた結果、世田谷美術館に電話してみることにした。これまたラッキーなことに、彼の誕生日前後のゴールデンウィーク1週間が、ドタキャンで空いたっていうじゃない。これはもう「やるしかない」よ、と(笑)。

 

その展覧会には60枚の絵を展示したんだ。最初はがっちゃんの祖父母か、身内の誰かがお祝いに絵を買ってくれたらうれしいなくらいの気持ちだったの。ところが最初に来たお客さんがいきなり絵を買ってくれたからそりゃびっくりしたよ。結局一週間の間に合計150万円の絵が売れてみんなびっくり。ちゃんと高かった画材分は回収できたので、社長としてはホっとした(笑)。

 

「やばい。これは反響がある。本腰を入れよう」と思っていると、本人もどんどんその気になってね、半年後には「ガク、ニューヨーク」だって。これはもう未知のチャレンジだけど、可能性にかけてやるしかないよね。それならとブルックリンのギャラリーに目星を付けた。とはいえ、僕にも会社にもお金はないから、目標150万円でクラウンドファンディングをしたら、7枚の原画が売れて、215万円も集まっちゃった。

 

しかもコロナぎりぎりのタイミングでのNY展示会。そのときの成果がこれまたすごくて、バッグで有名なレスポートサックからコラボ商品を作りたいって申し出があったこと。今、レスポートサックの本社にはがっちゃんの絵が飾ってあって、近い将来コラボ商品を出すことを検討してくれている。

子育てにおいて、どうやってここまできたのかを考えてみると、僕が自分の子どもに何も期待していなかったというのも一役かったかな。人は自分の希望通りにいかないから落胆するけど、自分にはもともとそういう期待値がなかった。だって他人の人生なのに勝手に期待するっておこがましいでしょ?

 

こっちはシンプルに考えていて、うまくいけば「良かったね」だし、いかなければ「しかたない」。ひと言でいえば、なるようにしかならないというのが僕の心情。押しても引いても無理なものは動かないし、動くときは動く。親が無理やり動かしたところで、家を出れば本来の自分に戻るでしょ? いつも思うんだけど、パチンコに朝から毎日並んでいる人たち(悪いとはいってないよ)。子供の時は親が厳しく勉強しろといっても、大きくなったら親の影響力はなくなる。だから親はきっかけを与えるだけで、それ以上のことはできないと思っている。

 

ありがちなんだけど、自閉症の子どもが絵を描くと、フィーチャーされやすいでしょう? みんなすぐに「自閉症って絵を描くんでしょ?」といわれる。でもほとんどの自閉症の子は絵を描かないよ。自分だってがっちゃんが絵を描くとは想像もしていなかったから。だから取材のときには、「自閉症だから絵を描くって記事にしないで」って言っている。

たまたまココさんが遠足に連れて行ってくれた遠足で岡本太郎に出会い、がっちゃんのなかにあるスイッチが入ったんだろうね。ココさんは1枚目の絵を見てがっちゃんに才能があるって言ったけど、俺は「本当に描き続けるの?」くらいにしかおもっていなかった。だから朝から夕方までずっと絵を描いていると聞いて本当に驚いた。

 

がっちゃんは言語能力がすごく低くて(IQ25以下)幼稚園の子どもほども語彙がない。だから、おそらく絵を描くことが彼の表現であり、コミュニケーション方法。絵を描くことで彼なりのコミュニケーション方法を見つけたという感じだったんだと思う。それも突然、絵にすればコミュニケーションできるんだ、って結びついたわけ。

 

だから全ての発達障害の子供が絵を描くわけではないけれど、その子たちがそれぞれの方法で自分たちのハンディをプラスに転換していってくれる環境を創り上げていきたいな、と考えている。自閉症は生まれ持った「特性」なので、その状態が「完成状態」なわけ。だから何か欠けていて療育で改善するとかリハビリすると考える方がおかしい。

その子の生まれ持った「特性」を活かした時にはじめて「個性」がでてくる。自閉症は決して個性ではなく、ただの特性でしかない。例えば生まれつき身体不自由がある場合、手足がないというのは「個性」とはいわないでしょう? でも自分の生まれ持った体の特性を受け入れていくことで、パラリンピックで活躍することもできる。自分のマイナス面をどうプラスにもっていくかがその人の個性。

 

だからアイムでは子供のたちの特性を生かして、個性を引き出せる「環境」を目指している。そしてその「環境」には、「楽しい空間」と「楽しいスタッフ」が含まれる。療育をつかって「自閉症を無理やりふつうに寄せる」のではなく、「環境を自閉症に寄せればよい」だけの話。だからアイムでは教室の空間に拘っている。大人がそこに長時間いたくなければ、子供だってそう。だからまず最初に自分が過ごしたい空間をつくりあげる。

 

そして最後にいえるのは、療育がなんだかんだという議論よりも、子供が「誰と」時間を過ごすか、の方が大切になってくる。だからいっしょにいて楽しい大人(スタッフ)と過ごすことの方が貴重な体験になる。それは家庭内でも一緒。だからお母さんは発達障害を悲観して泣くのでなく、明るく自分の人生を楽しく生きることが大切。だから面談で悲観的なお母さんには、「まずその前にちゃんと美容室いってお手入れをしてください」と話している。家庭が明るければ、子供も明るくなる。親が楽しそうであれば、子供だって自分の人生って楽しいものだと思えるでしょ?

 

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