
第5回 うまくいけば「良し」。いかなければ「しかたない」。すべてはなるようにしかならない(後編)
ありがちなんだけど、自閉症の子どもが絵を描くと、フィーチャーされやすいでしょう? みんなすぐに「自閉症って絵を描くんでしょ?」といわれる。でもほとんどの自閉症の子は絵を描かないよ。自分だってがっちゃんが絵を描くとは想像もしていなかったから。だから取材のときには、「自閉症だから絵を描くって記事にしないで」って言っている。
たまたまココさんが遠足に連れて行ってくれた遠足で岡本太郎に出会い、がっちゃんのなかにあるスイッチが入ったんだろうね。ココさんは1枚目の絵を見てがっちゃんに才能があるって言ったけど、俺は「本当に描き続けるの?」くらいにしかおもっていなかった。だから朝から夕方までずっと絵を描いていると聞いて本当に驚いた。
がっちゃんは言語能力がすごく低くて(IQ25以下)幼稚園の子どもほども語彙がない。だから、おそらく絵を描くことが彼の表現であり、コミュニケーション方法。絵を描くことで彼なりのコミュニケーション方法を見つけたという感じだったんだと思う。それも突然、絵にすればコミュニケーションできるんだ、って結びついたわけ。
だから全ての発達障害の子供が絵を描くわけではないけれど、その子たちがそれぞれの方法で自分たちのハンディをプラスに転換していってくれる環境を創り上げていきたいな、と考えている。自閉症は生まれ持った「特性」なので、その状態が「完成状態」なわけ。だから何か欠けていて療育で改善するとかリハビリすると考える方がおかしい。
その子の生まれ持った「特性」を活かした時にはじめて「個性」がでてくる。自閉症は決して個性ではなく、ただの特性でしかない。例えば生まれつき身体不自由がある場合、手足がないというのは「個性」とはいわないでしょう? でも自分の生まれ持った体の特性を受け入れていくことで、パラリンピックで活躍することもできる。自分のマイナス面をどうプラスにもっていくかがその人の個性。
だからアイムでは子供のたちの特性を生かして、個性を引き出せる「環境」を目指している。そしてその「環境」には、「楽しい空間」と「楽しいスタッフ」が含まれる。療育をつかって「自閉症を無理やりふつうに寄せる」のではなく、「環境を自閉症に寄せればよい」だけの話。だからアイムでは教室の空間に拘っている。大人がそこに長時間いたくなければ、子供だってそう。だからまず最初に自分が過ごしたい空間をつくりあげる。
そして最後にいえるのは、療育がなんだかんだという議論よりも、子供が「誰と」時間を過ごすか、の方が大切になってくる。だからいっしょにいて楽しい大人(スタッフ)と過ごすことの方が貴重な体験になる。それは家庭内でも一緒。だからお母さんは発達障害を悲観して泣くのでなく、明るく自分の人生を楽しく生きることが大切。だから面談で悲観的なお母さんには、「まずその前にちゃんと美容室いってお手入れをしてください」と話している。家庭が明るければ、子供も明るくなる。親が楽しそうであれば、子供だって自分の人生って楽しいものだと思えるでしょ?