
第4回 どの国で療育を受けても自閉症そのものが治るわけではない。
がっちゃんの発達障害の糸口を見つけるためにロサンゼルスに行こうと決めてから、1年かけて仕事を探していたんだけど、タイミング良く東京ガールズコレクションを運営している会社の社長から「ロスに子会社を作りたいんだけど、任せられるやつはいないか?」と電話がかかってきた。渡りに船と「俺が行く」って、当時勤めていたヤフーを辞めて雇われ社長に転職、家族でアメリカに引っ越した。
アメリカは、発達障害の療育という観点でみると、子どもを取り巻くインフラは日本よりずっと整っている。すべてが無料だし、一人ひとりにセラピストも付く。日本は、生活保護や親が死んだあとの生活などの制度に関してはしっかりしている。しかし療育という1点にしぼると、まだ「療育のプロ」はいないと感じる。
療育のプロのいない日本では「療育」について議論のしようがない。アメリカの場合、大学で心理学や精神学の単位をとると最後の実習でインターンとして現場に派遣されてくるのね。卒業すると初任給400万円から始まって、10年くらい経験を積めば年収1,000万円にもなるんだから、みんなプロをめざすよね。日本の福祉従事者のせいぜい年収300万円以下の給料とは違うから、当然集まる人材の質も違ってくる。
がっちゃんに話を戻すと、アメリカで彼が通っていた現地校の支援学級では、担任の先生のほかに、がっちゃんのためだけにセラピストが付いた。それは他の子も同じで、支援学級に生徒が8人いたら大人は9人いることになる。ここからして日本とは全然制度が違う。家に帰ってからだって、毎日2時間セラピストが派遣されてくる。それでも僕らがお金を支払うことはない。そういう意味でも、療育のインフラはアメリカの方が断然整っている。
カリキュラムは1年に一度、校長先生や支援学級の先生、学校担当者、セラピスト、保護者が一同に会して、“IEP”という分厚い個別指導計画書をレビューするんだよ。そこには「言語能力や運動能力を1年かけてこのくらいまで伸ばす」というように細かく目標設定がされているんだけどね。そこにサインすることで、“IEP”そのものが契約書になるから、支援学級の先生やセラピストは、その計画をコミットしなくてはならない。だから必死。日本でいえば「ライザップ」みたいなもんだよ。
次の議論は「アメリカで療育を受けられて良かったか?」ということ。確かに制度は整っていたし、がっちゃんの特性にあった療育が提供されたとは思う。でもそれは良いとか悪いとかじゃなくて、自閉症の子どもは大人になっても自閉症のままなので症状が改善されたわけではない。というか自閉症ってそもそも治す病気ではなく、生まれ持った特性でしょ。
ふたつ目。アメリカにいって良かったか? 自分の家族も引っ越すべきか? そんなことはないと思う。アメリカは車社会なので、自閉症の子を扱いやすいのは事実。で、話を戻すと、自閉症や多動症の子は日本の狭い道だって思い切り走るし、電車に乗るのも大変。そういう意味で車社会のアメリカの方が生活しやすかったというのはある。
ただそれをいうんだったら、日本の親もペーパードライバーをまず改善した方がいいと思う(笑)。おもしろくって、日本のお母さんってペーパードライバーとITオンチがとても多いんだけど、自分の苦手は治さないで、子供の苦手だけを療育で治そうとする。「まずは親が療育を受けて車運転できるようになったらどうですか?」といっている。親が運転できてPCとタブレット使いこなせる方が、下手な療育より手っ取り早い。
つぎの点として、アメリカ人はトータルで見るとアバウト。寛容っていう言い方もあるし、おおざっぱとも言える。だから、許容範囲も広いので、こっちも気負わなくていいところがある。あと、自閉症という言葉も浸透しているから、何かあっても、「この子自閉症でしょ。だいじょうぶ、だいじょうぶ。心配しなくていいよ」って言ってくれる。自閉症の子が社会的に過ごしやすい環境なんだね。
アメリカ人は良い意味でアバウトだから、うちの子がプログラムに従わなくても決して無理強いしない。「ま、いっか。じゃ、ゲームやろう」って遊んでくれる。それに比べて、日本の療育担当者はとってもきまじめで100%マニュアル通り進めるんだよね。子どもが泣き叫んでも遂行しようとする。ある放課後デイでは、療育の一貫として、子供が泣き叫んでいるのに大きな音がするトイレの乾燥機に手をつっこませると聞いた。それってもうただの拷問じゃない。そういう意味からすると、柔軟性のあるアメリカ人のセラピストは良かった。
療育の一番の論点は、プログラムの良し悪しではなくて「誰がそれをやっているか」ということが一番のポイント。がっちゃんがお気に入りのキレイなお姉さん担当者が毎日、1対1で相手をしてくれたという楽しい想い出がたくさんある。結局「何をするか」ではなく、「誰と関わるか」なんだよね。旅行でどこへ行ったかより、誰と行ったかの方が重要でしょ?
つまり療育に価値があったんじゃなくて、楽しいお気に入りのセラピストさんと過ごせたことが、がっちゃんにはとっても良かった。アメリカのセラピストは基本的に、高収入に結びつくキャリアを目指して学歴があるから、ある程度しっかりした、できる人がやっている。そしてなぜか女性はみんな美人。「きれいなおねえさんと毎日楽しい時間を過ごせたね」ががっちゃんの成功体験になっている。
確かにアメリカという環境はがっちゃんにとっては良かった。じゃ、日本の保護者もみんなアメリカに行くべきか? そんなことはないですよ!と。だから私の話を単なる海外自慢としてとられてほしくない。日本のおかあさんに言いたいのは、アメリカと同等のセラピーが受けられなかったとしても、わが子の自閉症がひどくなってしまうなど、悲観悲嘆する必要はないということ。結論は療育のマニュアルではなく、自分の子供と関わってくれる人が「どういう人か」の一点につきる。
日本に帰って来たらがっちゃんは支援学級に入った。けれども高校になって普通の支援学校に入るのは、がっちゃんは合わないと思った。だって就労支援の準備だとかいって、変な内職の訓練ばかりしていたから。だから、自分で自由にカリキュラムを決められるノーベル高校を作ろうと思った。普通の支援学校だと絵を書く時間は週に何時間って決まっているから、どんなに絵が好きでもそれ以上描かせてもらえない。だからがっちゃんの絵が開花したのも、自分たちで高校を運営していたから、というのはとても大きい。結局、療育でもなんでもなく、環境なんだよね。
おもしろいもので、アイムの自閉症の生徒なんて名前をよんでも全く来てくれないし、ふりむいてもくれない。でも美人がやってくると呼ばれてもいないのにやってくる。結局、子供たちは障害のあるなしに関係なく、キレイなお姉さんが好きなわけで。だから髪もメイクも乱れたカサカサの療育担当者が何をいったところで効果がでるわけもなく。となると放課後デイのスタッフって地味でダサい格好はやめて、おしゃれをするべきでしょ? そう思ってアイムではスタッフに「美容室手当て」をつけているわけ!